
けんか七夕は牽牛と織女の年に一度の逢瀬に由来するロマンティックな物語とはうらはらな勇壮、豪快,荒々しい祭りです。気仙町今泉地区のけんか七夕は、伝承によると900年以上の歴史があると言われていました。
そのように言われてからもう30年以上も経ちますのでもう950年程の歴史になるのでしょう。おそらく日本で一番歴史のある古い七夕祭りと思われます。
平安時代(794年〜1185年頃まで)先祖の慰霊のための仏事として始まったとされます。記録が残っていないので伝として言い伝えられているのでしょう。
平家の落人が京の都をしのび造りはじめて、気仙地方の風土とまじりこのようなけんか七夕に発展してきたとの説もあるようですが、もしそうだとすると壇ノ浦の戦いは1185年、計算すると823年にしかなりません。
明治時代までは現在の八日町と荒町が一台ずつ造っていたそうです。「むかし七夕」と呼ばれる当時の山車には真っ赤な短冊をつけた大笹竹(おおささだけ)がそびえたち、高さが百尺(30.3メートル)もあったそうです。

気仙町にも電気がひかれ(大正初期)電線がじゃまで大笹竹はつかわれなくなり、現在のような小型化した姿になったということを昔明治生まれの父親が話していたのを思い出します。
けんかの起源ははっきりしないようです。気仙川のサケ漁をめぐる今泉側と高田側の村同士の争いが解決した後不満が残った今泉の若者同士が争いをはじめ、これがけんか七夕に発展したとの説もあるようです。
現在84歳の人の話では七夕が近くなると気が立ってくるのか、あちこちでけんかが始まり、七夕の夜は酔っ払ってけんかしたり、山車を川にほうりこんだりしたものだそうです。そして七夕の翌日酔いがさめて、山車をひきあげたとか。
この歴史あるけんか七夕も昭和13年(1938年)から第二次大戦の影響で中断され、再開後昭和35年(1960年)チリ地震津波の被害が大きく中断されました。
時代によって子供達が夜集会場や神社、お寺さんに集まり七夕の製作をする事はよくないのでは?との意見が多数を占めた頃もあったようです。しかし町内の熱心な方々の努力で昭和44年(1969年)見事に復活されました。
平成9年(1997年)には岩手県指定無形民族文化財に指定されました。
2008年8月7日には鉄砲町、上八日町、下八日町、荒町の町内の方々の努力で2ヶ月にも及ぶ作業を終え、4台の山車がでて、にぎやかにけんか七夕が繰り広げられるでしょう。ふるさとのけんか七夕祭りが、ずーっと続くことを願っています。